17歳は二度あるか

S.H.U.


Ⅰ この文章について

 僕は、以下の文章を、次の目的、方法で記したい。

 まずもって、何を隠そう、僕はこの同人誌「偏向」を立ち上げられた白石さんの中高時代の後輩である。その僕の認識では、この同人誌は社会に向けて発信されているものであるが、それと同時に、白石さんの友人が目にする機会が多いはずである。そこで、僕は、社会に対して発信するという前提に則りながらも、中高時代の関係者に届ける目的で筆を執ることにした。むろん、そうは言っても、諸々の事情を知らない読者が読んでも、難なく読めて、何かしらの参考となる、面白いものにするつもりである。

 一般に文章は、長いと、最後まで読んでもらえず、短いと、内容を伝え切れない。あるいは、それは、長いと、流し読みされ、短いと、ある程度の厚みを持った論理展開を作れない。そこで、タイトルや注を含めて、15000字で完結する文章を書くことにした。
 ところで、僕は、SNSに公開するのではなく、特定の友人のみへ向けてクローズドな文章を送ることがある。友人に、考えてほしいからだ。今回の寄稿は、それの拡張であり、公開である側面がある。以下の寄稿も、2023年12月に書き、友人に送った「なぜ『まちづくり』に関わるのか〜『幸福』と『自治』を巡って〜」という文章の改稿である。
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 以下の文章は、あなたに考えてほしいから、書くものである。僕はここで、今、自分は社会の中で、どういうモチベーションで生きているのか、ということを示したい。私とは何者か、ということと向き合いながら、何が幸せなのかという「価値観」と、それに基づく、社会に対してやりたいことを、多くの人に伝わるように、具体的なひと繋がりの文章として示し、その最後で、あなたに問いたい。
 僕は、そうした、次のような文章を、これを読んでいる読者にも書いてみてほしい、と願っている。そうして、「価値観」から来る、あるべき社会の理想像に対して、自分が(「やりたいこと」ではなく、)「できること」=「仕事」をすることを目指してほしい、と願っている。


Ⅱ 自分のルーツを自覚し、倫理観を持つこと

 早速だが、僕は「地域のアイデンティティや歴史や風景の継承のプロセスそのものでもある観光振興を、地域振興の手段として捉えて賢く用いながら、地域が地域自身でどのように『自走』していけるのか、そのことで豊かな暮らしをつくっていけるのか」ということに、関心を持っている。と、日頃、志望理由書に、テンプレートを使うことがある。以下の文章は、この文言を、約15000字で説明するものである。僕は、そういう地域に生きたい、ましてや、そういう地域をつくりたい、という気持ちを抱いているのである。

 ところで、僕はそもそも、埼玉県さいたま市で生まれ育ち、中学、高校と東京都港区の学校に通い、その後も埼玉と東京で長い時間を過ごした。地域や地方というものから離れた人生を送ってもきた。元々、地元に目を向けて生きてきた、とは言いがたい。むしろ、地元を離れて、比較的似た者同士と関係をつくる環境で育ってきた、という側面もあるのであった。それゆえ、このような人間がなぜ地域に関心を持ったのか、というところから、話を始めなければならないであろう。

 思うに、地域に関心を持ったのには、いくつかの理由がある。

 まず、幼少期に、現在のさいたま市の中でも中心地区の大宮に生まれながら、人間関係として、地方出身者がつくる擬似的な田舎のような環境で育ったこと。母方の祖父母と同居する二世帯住宅で僕は育った。祖父母を含む家族七人全員で、一つのテレビを横目に、夜ご飯を食べていた休日の記憶がある。また、祖父母は太平洋戦争前後の生まれで、その地域にはそれくらいの年齢の、各地方からやってきた、昭和感が漂う大人たちが集まっていた。そこに生きるご近所さんたちに見守られて育った、という意識を僕は持っている。これらのことは、原点として大きかった。
 しかし、港区の中高一貫校に中学受験で合格してしまった僕は、その学校の持つ「自治」の問題に巻き込まれていくこととなった。これが、二つ目の原体験であった。一見、意味が分からないかもしれないが、学生の自治活動が暴走し、人権侵害が発生しているということで教職員が介入し、退学者や不登校者が発生してしまったのだ。その騒動に巻き込まれながら、その後処理をすることとなった自分は、学校自治に関する改革のために友人と議論に明け暮れ、高校生であるのに、政治学や法学の専門書を参考にして、自治組織の体制改革や、規約の条文作りなどに励む日々を送ることになってしまった。はたして、これが地域への関心とどう関係があるのか?これについては、後に触れたい。
 ともあれ、その後、そうした日夜の活動に一区切りを付けて、後輩に引き継いで高校を卒業する頃には、それこそ、自分自身が将来、どのような立場で社会そのものと関わりたいのか、全く分からなくなってしまっていた。これも一見、理解されがたいとは思うのだが、それらは自分がやりたいことをやっていたというより、十代の子どもが目の前のことにがむしゃらになっていただけであって、ある意味、人に役割を求められてやっていただけであって、そこから解放されて、まるで自分のために生きていいんだよ、と言われた時に、何かのバランスを崩してしまったのだ。
 その後、都心部で色々な経験をしたことも、原体験の一つであった。要するに、この街には刺激があり、「快楽」がある。でも、「幸福」があるのだろうか?こんな疑問を深めることになっていった。自分からすると、一般的にそこまで問題なく、うまくいっているように見えても、「信頼」の欠如を背景として、歳を重ねても、満たされていない人が多いと感じていた。中高時代に仲の良かった人たちも、その間に、様々な道に進んでいったが、そうした様々な選択も一見、多様に見えながら、結局、出所は一緒の人たちで狭い世界の中で生きようとしているのではないか、と感じていた。国や企業に就職していく人たちが、理念を持ってそうしているようにも、なかなか思えなかった。そのようにして、恵まれていることに支えられた既得権益を守り、みんなで世の中を悪くしていっているのではないか、という思いを僕は拭えなかった。自分は、何か根本的に、別のことをやらなければならないのかもしれない、と。

 以上の経験の中で、僕は自分ごととして、次のように考えるようになっていった。

 例えば、カップラーメンやファーストフードというのは、たまに無性に食べたくなる、とよく言われる。その一方で、自分で料理をつくるのは時間も手間もかかって面倒だけれども、できあがって食べてみたらとても美味しく感じる、という経験にも、私たちは思い当たる。この前者が「快楽」で、後者が「幸福」のようなものなのではないか。
 料理をつくるのは、カップラーメンのできあがりを待つことに比べて「コスパ」は悪い。カップラーメンを待っている間には、情報収集すらできる。しかし、極端に考えてみると、私たちは、それでは毎日、カップラーメンやファーストフードを食べることになったら、栄養的な問題を抱えることになるだけではなく、虚しさを感じるようにできているのではないか。時間がかかり、その中には、苦しみもある。その先で、ジワーッとした、ポカポカとした幸福感がある。こういうものが「幸福」で、ある意味、そうした苦しみを経ずに、すぐに手に入ってしまうものが、「快楽」なのではないか。「快楽」は、だから、究極的には、ドラッグのようなものであり、その依存症を想像してもらえれば分かりやすいかもしれないが、これはまた、別種の苦しみと、表裏一体でもあるのではないか。
 加えて、料理をつくったら、あるいは、つくってもらったら、やはり、人と食べるほうが美味しいと感じるのではないか。つまり、「幸福」は、人と分かち合いやすい気がするし、ジワーッとした、ポカポカとした幸福感というのは、安心感や「信頼」と近い。ところで都市での生活は、例えば、街で知り合いとすれ違うことが少ないので、お互いに無関心を装い続けることに慣れていく。こういう環境の中に居ると、人は、常にうっすらと不安を感じるようにできているのではないか。すれ違った人が殺人犯である可能性を否定できないわけであって、そこでは、いわば、人を疑うことが当たり前になってしまう。「快楽」は、こうしたドライさや「不安」と相性が良い何かであって、この「快楽」を求める気持ちと、「幸福」を求める気持ちの、どちらも、人は分かる。
 都市は、多様な人が居るように見えて、むしろ、実際には、近い人同士が集まっている側面もある。ここでの「幸福」と関係が深い、「信頼」の感覚は、その場に居る人を、とりあえず存在として大切にするような(僕が生まれ育った擬似的な田舎に一部残されていたような)人間関係、その温かさがある環境の中で育まれるのではないか。
 かくして、現状、都市は「快楽」と相性が良く、地方は「幸福」と相性が良い。これはいわば、幸せのジャンルと、その傾向が異なる……当然ながら、これはオリエンタリズムが批判されるように批判され得る、都市による、地方や田舎に対する憧憬である、という側面もあることだろう。そうした「温かい」人間関係は、別の視点から見れば、そこから離れたいと感じる世代が増えて実際にそうなっていったように、面倒で時に息苦しいものなのでもあろう。けれども、この視点を含めて、自分が都心で見てきた様々な、しかし、「信頼」の欠如を根本原因とするような問題に対するヒントが、都市を離れて地域に入り込んでいけば、見付かるのかもしれない、と。このように、考えるようになっていったのであった。

 ちなみに、以上の「快楽」と「幸福」についての説明は、あくまで、分かりやすくしたそれである。あえて言えば、僕はここで、倫理学の精緻な議論をしたいのではない。自分がやりたいことに関して、その前提となる倫理的な価値観を、多くの人に伝わるように、さしあたり、説明しているに過ぎない。むろん、倫理学を専攻した人には敵わないが、(注でも書いたように、)僕は唐突に、自分の頭だけで、上のように考えたわけではなく、ここでの哲学史上の議論も、独学で勉強している(哲学は、独学で勉強できるものであるはずだ)。むしろ、昔は、倫理学的な政治哲学について、高度に理論化することを人生の第一目標に置いたことすらあったくらいだ。その上で、その生き方を自己批判して、僕は上のように、簡単な言葉で説明することを重視し、また、世界へ行動するにあたっての立場を「決断」していたのであった。
 ともあれ、とにもかくにも、僕は以上ゆえに、地方のまちづくりと、そこにおいて、現実として重要な位置を占めている、地域観光について学び、それらに関して、仕事をしたい、と思うようになったのだった。


Ⅲ 日本の地方の現状と、それに対する試行の例

 かくして、その後、実際に、地方のまちづくりの現場で、それの中心的な方に同行させていただく機会を得る中で、上で書いたヒントが、そこには確実に存在する、と僕は感じるようになっていった。もちろん、色々な方から色々なお話を伺う中で、多面的な現実を認識していった。しかしながら、全体として、そのヒントが見え隠れする、少なくとも自分にとって新鮮で面白い地域があることを知ることとなった。
 例えば、ある地域(I市)では、公民館文化に代表される地域活動が、住民の方々を、身の回りの生活をどう良くするかというまちづくりの意識へと繋げているということを、ありありと感じた。そこでは、行政職員も市民の一員として、まず自分でやってみる、そして、みんなでやるという精神を持ち、まちづくりに参加するのであるという「自治」意識を持っていた。そうしたソーシャル・キャピタルの力には、感銘を受けるものがあった。
 僕はこうして、地域づくりや観光の世界に、足を踏み入れていった。…のだが、そこであらためて、次に向き合わされていたのは、次の問いであった。すなわち、その土地で生まれ育っていない、ましてや、主に都市で育った人間が、どのように地方、とりわけ、いわゆる田舎に関わっていけるのか。

 僕は今、そのI市と、あるプロジェクトに取り組んでいる。それは、I市を含む、その一帯地域の中長期的な地域ビジョンの叩き台を示すことまでを目標に、まちづくりの中心的な人物にインタビューして、お考えと、それを読み解く生い立ちをまとめる、というものだ。
 ここで、そのまちづくりの中心的な方のお一人に、Oさんがいらっしゃる。例えば彼女も、元々は、二十五年ほど前にその土地に移住した移住者なのだが、彼女はなんと今も、自分をI市地域の「よそ者」であると、本気で疎外感を感じているかのように、話していたのであった。
 もちろん、それには、Oさんなりの色々な事情がある、ということをインタビューでは伺った。それに、僕とOさんは、二週間くらいの生活をともにしたこともあったので、彼女の口からそう聞くことに意外感はなかったし、そうした地方の事実にとても驚くほど、自分はナイーブではなかった。もちろん、それまでもそうした話を聞いたことがあった。けれども、そこであらためて、自分が向いている役割とは何か、ということを考えさせられたのもまた、事実であった。自分もまた、あえてこのように言えば、大宮という首都圏の都市に生まれ、東京の中高一貫校に通ったという、およそ自分で選んだわけではないルーツから、逃れられない。都市で育ったという意識もある上で、地方に関心を持ち、繋がりを持ち始めている自分が地域にできることは、なんなのか、と。

 そもそも、今、どのような立場で地域づくりに関わりたいか、という時、そこの地に住む住民として地域に加わるかどうか、ということが一つの「選択肢」になっている時代でもあるのではないか。
 今後の地方には、様々な問題があることだろう。しかし、一般に、その核心的な問題は、人口減少と少子高齢化であり、あるいは、それらに端を発している、ということも事実であろう。これらの現実に対して、I市にも、切実な問題意識、焦りを感じている方々がいらっしゃった。
 例えば、現在人口2000人や2500人の地区で、ここ五年で産まれた子どもが毎年五人ほどしか居ない、だから、当然ながら、人口はどんどん減っている、そして、転出する人も増えていく、そのようにして、子どもが出ていったため、数年以内に団塊の世代が亡くなることで土地の所有者が居なくなり、更地が大幅に増えると予想されているなど、このように今、問題がひと続きに発生している。こうした中で、「これ、ここの土地で生きたい人にとっては、移住を推進するだけではなくて、何か別のやり方を考えないと、本当にまずいよね」と、本気で感じられているわけなのであった。ところが、こうした現実への対応として、今、日本各地で以下の動きが模索されていることは、まだあまり論及されていない、と思われる。
 まず、これまで、人口減少と少子高齢化への対応として、あるローカルな単位の地域を、その外からの支援で支えようとする運動が、一貫して見られてきた。例えば、ふるさと納税は、外からある地域に対して住民税の納税をプレゼントする発想から始まり、そこで返礼品という「リターン」の競争が加速したものである、と言えるかもしれない。いわゆる地方創生においても活用されてきた、各種のクラウドファンディングも、金銭に対する何かしらの「リターン」をインセンティブにし、地域の活動を外から支える仕組みとして機能してきたのであろう。あるいは、このように言えば、観光もまた、観光客から見た時には、ある地域を外から訪れることで、その地域にお金を落とし、その「リターン」として、体験を受け取る行為である、とも一般に言えるかもしれない。
 このような一連の運動の先で目下、新興の技術であるブロックチェーンを活用して、ある地域が発行したNFTを地域外の人々が買うことで、地域づくりの資金を提供して地域を支えるというだけでなく、地域づくりに「参加」してともに地域を創造し、ひいては、新たな都市と地方、また、地方と地方の関係を模索しようという動きが見られている。この文脈の中で、NFTを使った運動は、これまでの運動と比べて、「リターン」から「参加」へと、双方向的な関係を強めるものへと踏み込んでいるところに、その選択肢も提供しようとしているところに、特徴があるかと思われる。
 そこで、ブロックチェーンという技術それ自体は、あくまで今活用しやすいそれに過ぎず、本質的には、関係人口的な地域への関わり方が拡張し、いわば、地域を外へと開く、あるいは、そのローカルな輪郭をぼやかす運動が模索されている、ということが肝要なのではないか、と思われる。このNFTという新興技術を利用した以上のような運動自体は、五年後には古くなっているかもしれないが、地域を外へと開くような運動の方向性それ自体は、恐らく今後も模索され、また、一時的に下火になったとしても、発想として再発見され続けるのではないか。とりわけ、近年、喫緊の上記の課題の中で、現実的な策として、この運動の可能性が、本格的に議論され始めている、ということなのかもしれなかった。I市でも、地方創生NFTにどう取り組むか、ということが問題となっている。

 ところで、僕自身は、関係人口の議論に対しては、一定以上、警戒心を抱いている。これは、地域に「ゆるく」関わることの可能性を開く概念でもあると同時に、それこそ大変さや面倒ごとを含めて(上の言葉で言えば「幸福」に近付く)協働をする過程が、軽視される可能性もある、と考えてきたからだ。あるいは、例えば地方創生NFTを購入することで、投資的な感覚で地方に関わりながら、一方では都市に居て地域格差に加担している者に、それでも「地域に関わり、貢献している」と、いわば免罪符を与える、というようなことが起こると考えられるからだ。
 しかしながら、僕はI市地域に関わらせていただく中で、そのように様々な問題が考えられるにせよ、喫緊の状況下で、むしろ、この関係人口的な関わり方を自分が積極的に模索してみるのも面白いのかもしれない。と、こう思うようになっていったのでもあった。ある地方とその外部、とりわけ、都市との関係に注目し、理論的には各種の事象を研究し、実践的にはそれらを自分の地域社会に対する理念に適うかたちで有効に繋げることができないか、試してみる。都市で育ったという意識もある上で、地方に関心を持ち、繋がりを持ち始めている自分が果たせる役割として、もしかしたら、こういったところにヒントがあるのかもしれない、と感じるようになっていった。

 もちろん、そこから敷衍して、ある地域とその外部との流動性を設計するようにして、プロジェクトにセレンディピティをもたらすとか、イノベーションを促進するとか、そういったことを主張したい人も居るのであろうが、僕はこれは、そんなに簡単なことではない、と思っている。むしろ、I市の方々とお話させていただいているのは、次のことなのであった。地方創生NFTの潮流においては、そこでの、外の視点とのコンフリクトが生じる可能性、また、都市圏の視点による価値観の平準化に巻き込まれる可能性、こうしたものに地域のほうが備えておく必要に迫られている、と。つまり、各地域の現在の住民自身が、自分たちの住む地域をどのようなものにしたいのか、意識的にコントロールする必要に迫られており、地域の「意思」が問われているわけである、と。
 それに、僕自身は、これも多少哲学的な物言いになってしまうのだが、やはり、ある空間の有限性に根差し、責任を持ち、引き受けること。このことを、人々が各自実践することが、倫理的なのではないか、という感覚を根本的に持っているので、現時点では、ゆくゆくは、そういう生き方がしたい、とも思っている。その上で、自分自身、地方と都市の環流的な関係を探る目的で、ある地域とその外部を巡る広義の「観光」的な、緩やかな交流や共同性の可能性を模索したい、とも考えるようになっていった。
 これについては、まだまだ、およそ、確信を持てない部分もある。もとより、確信というのは持てないことが多いし、それをある程度以上まで持てなくても、手探りで進んでみるしかない、というのもそうなのかもしれないが、とにかく今後、この研究と模索がどうなっていくのか、そして、そもそも、以上の方向性の中で実践されようとしている具体的な運動が、自分と地域の方々の思うかたちで地域のためになっていくのか、慎重に関わっていかなければならない、と思っている。


Ⅳ やりたいことにおいて大切な留意点

 ともあれ、以上のように、特に、地方創生NFTについて書いたのは、それを通して、日本の地方の現状と、それに対して地域を外へと開くような動きが生まれている状況を、具体的に示し、イメージしてもらいたかったからである。そして、僕個人は、この動きに注目し、それを研究しながら、実際に関わりを持っている、と。しかし、上の中でも触れているように、そこにおいてもそうであるし、もとより、地域づくり一般において、僕が考えている前提は、以下である。

 それは、第一に、「価値観」を持つことである。

 この僕は、要するに、上で書かせていただいたように、「快楽」と「幸福」のどちらも人は欲望するのだが、バランスの問題として、「幸福」を感じられる場所に多くの人が生きていてほしいし、そういう社会のほうが善いのではないか、と考えてきたのであった。例えば、ここで、「幸福」に対して一般に高い評価を与えているそれが、「価値観」である。もちろん、あなたの「価値観」は、これと同じではないかもしれない。けれども、地域づくりにおいて、もっと言えば、社会と関わることにおいて、何かしらの「価値観」を持つことが大切であると、僕は思っている。
 例えば、地域づくりや観光に関して、インバウンド観光を推進した結果、ある土地の地価や家賃や物価が高騰し、地域住民を排除するジェントリフィケーションが起こっても、「国や自治体の税収は増えたし、そういう地域づくりもあるよね」と考えるかどうか。僕は現状、この考え方を批判しなければならない、と考えている。
 冒頭で、自分は要約された文言として、「地域のアイデンティティや歴史や風景の継承」と書いたが、ここでは、この例を念頭に置いて、それを牽制したいために、明確にそう言語化していたのでもあった。それらを継承することが価値であるという「価値観」を、僕は持っている。僕自身に、何を根拠に生きればよいのか分からないような、アノミー的な状況に陥った経験があるからこそ、問題点もあることを承知で、僕はそのように考えるようになったのであった。だから、オーバーツーリズムによるツーリズムジェントリフィケーションは、それがたとえ税収や人口を増加させたとしても、地域に元々あったアイデンティティや歴史や風景を継承することにはならないから、上の「価値観」によって、批判することになるのだ。
 つまり、「価値観」を持つという話は、単なる抽象的な話ではない。僕がI市に惹かれたのは、いわば、「快楽」の機会を用意しようという方針では都市には勝てないし、私たちには別の価値があるのだから、別のかたちのまちづくりを目指そう、ということが共有されていたからであった。このように、「意思」が共有されていればこそ、具体的な実践において、筋の通ったものになるのではないか。
 地域づくりは、現場での具体的な判断、実践の積み重ねでもある一方で、その際に、一つ一つの判断に、そうした「価値観」が影響し、あるいは、それを通して「価値観」が形成される、という過程があるはずである。そうして、「価値観」を共有することで、現場の具体的なコンフリクトが氷解し、効果的にプロジェクトが進む、ということもあるはずである。よって、この「価値観」の言語化というのは、留意し続けられたいものである。
 補足として言えば、ここで、僕は、研究と実践において、質的な側面にこだわりたいのでもある。具体的には、インタビューという手法に注目していたい。量的手法やそのデータの提示は「分かりやすい」が、上の理由で、「価値観」や「ストーリー」を共有することが効果的である場合もあるからである。
 実際に、「まちづくりオーラル・ヒストリー」という研究分野、あるいは、実際のまちづくり手法があるが、このように、語りを通して、歴史やイメージを共有するというような、ある意味で人間にとって原初的な営みは、今後も変わらず、地域づくりにおいて重要になり続けるであろうと、僕は考えている。これは、地域づくりというある種の一つの「政治」の、「正統性」や根拠をどこから持ってくるのか、それをどうすれば人は納得するのか、という問題と関わっているであろう。そこにおいて、(データや数字ではなくて、人の生きる)「意味」を再構築する「文系」的な、また、「人」に注目する「人文科学」的な質的な手法というのが、どこまで行っても、まさに原初的に、我々には回帰してくるのではないか。

 さて、第二に、自分が大切にしたい「価値観」を前提に、地域づくりを行う上で大切になるのが、特に以下の視点なのではないかと、僕は思っている。

 今、移住者の獲得とか、関係人口の創出ということが盛んに言われ、各地では日々、様々な事業が行われている。けれども「それって結局、なぜ必要なの?」という問いには、答えられるようにしておかなければならないだろう。僕は今、要するに、そこに現在住んでいる人が居るから、と答えているものが多いように感じている。それでは、答えとして足りない可能性がある。なぜなら、そうであれば、まだ地方に住んでいる人たちを都市に移住させたほうが、全体としてインフラ維持の観点でコストが下がるのだから、そっちのほうがいいじゃないか、と反論されることになり、その経済的合理性に基づく、データとして目に見える、もっともらしい反論に、なし崩し的に議論が方向付けられていく可能性があるからだ。
 しかし、ここでも、まずもって、結局は「価値観」を巡って、議論が続くことが多いのではないか。つまり、「コストが下がるんだから」という価値基準そのものに対して応答する反論を、地域に住む方々は、また、地域に関心を寄せる人たちは、思い浮かべることが多いのではないか。例えば、上で示した、「快楽」と「幸福」を対置させるようなかたちで。ここでも、恐らく、人はお金を巡る合理性だけでなく、「個人的な」経験から来る、各人の人生の「ストーリー」と切り離せない、「価値観」や習慣によって、生活環境を選択するのだから。
 それでは、そもそも、「幸福」と親和性の高い生活環境は、どう残ってきたのか。それは、突き詰めて言ってしまえば、「信頼」をかたちづくる人間関係の土壌を、「記憶」として継承してきた、ということなのではないか。この土壌、そして、「記憶」は、一度その空間が失われると、身体を通して伝えることが途端に難しくなる。文献などを通してしか残らなくなり、身体的な記憶を残している人たちも、各地にバラバラになってしまう。逆に言えば、それらは、一朝一夕にはできあがらない文化でもある。そこに残されている価値を、未来へと、どのように繋げるのか。
 かくして、都市と地方の双方で地産地消と地域内経済循環の仕組みを構築する一方で、生産性の高い都市から地方への観光による資本の移動と、それ以外の、地域を都市から支援する構造の構築が必要なのではないか。これらを併存させるマネジメントが、必要なのではないか。食、エネルギー、社会福祉、道路整備、あるいは、水、ごみ処理などの生活に不可欠な要素を地域内で自活できる仕組みをつくり、得た外貨を域外に流出させないように経済を循環させ、地域内で強い経済をつくることが、理想的かつ中長期的には、経済的合理性による淘汰に抗う、有効な方法なのではないか。そこではまた、サステイナビリティ学が示す、持続可能な開発と、循環型社会への転換ということが、お題目的にではなく、リアルに要点になるのではないか。と、僕は考えている。I市で出会ったコアな方々も、こうした地域ビジョンをお持ちであった。
 以上の社会思想というのも、僕が唐突に、自分の頭だけで、上のように考えたわけではない。ここでの社会科学的な議論も、日々、勉強している。実際に地域の現場を見ることで、このビジョンの必要性を痛感したのでもあった。その上で、ここでは、上のように、大雑把に説明しておきたい。

 ともあれ、以上ではおよそ、結局のところ、単に市場原理に任せているだけでは、コミュニティや地域性や景観は自然と損なわれるのである、ということを前提しているに近しい。これは、もしかしたら、多少偏った考えなのかもしれないが、仮にそうであったとした時、それを住民の力(民主主義)で、住民と、地方自治において重要な地方行政が連携して、どのようにコントロールするかということに、自分は関心を持っているのでもある(例えば、こうした観点で、外資による開発の圧力に抵抗し、「生活型観光地」を目指してきたとされる由布院にも、関心を持ってきた)。
 上では、「記憶」や「価値観」の継承ということを書いてきたが、これらは一見、保守的な主張にも見えたかもしれない。しかしながら、地域のアイデンティティを、その時の住民が「再定義」する。これが「まちづくり」の運動なのかもしれなかった。また、理想的には、外部(からやって来る観光客)の視点を鏡にし、自らの地域がどうありたいか、全体として考える認識をみんなで持ち、「意思」を持とうとするところに、「観光まちづくり」の社会的側面としてのキーポイントがあるのかもしれなかった。さて、これらは、自分が中高時代に取り組むことになっていた、失敗もした「自治」活動や「文化祭」の延長である、という直感をも持ってきたのだが、それはまた、別の話だ。「幸福」は、恐らく「信頼」(存在そのものへの「承認」を与える人間関係)だけでなく、「自治」(参加と協働)とも、深く関係している(この「自治活動」として、結果的に、その空間の基盤を崩しかねない市場の──あるいは、技術の──民主主義によるコントロールをしたい、と僕は考えている)。
 いずれにしても、このように、いわば観光以前の、生活に不可欠な要素をどのようにまかなうのか、その構造をどのように経済的に支えるのか、ということに重きを置いて、少なくとも現状、そこに実際に住み、先人の「記憶」を継承する住民たちが、地域としての「意思」を持って「まちづくり」をすること。それをベースとして、観光との付き合い方をも考えること。これが、地域づくり全般にあたっての、大切な留意点である、と僕は思っている。「観光はまちの土台があって、そのお裾分けをしてもらうもの」であり、「観光はまちづくりの総仕上げ」なのである、と。


Ⅴ 結びと補足

 僕はまだ、基礎的なことから学び、考える時間を取っているところであり、今後、関心は深まっていくだろう、とも思っている。しかし、ここでは、今後もブレないであろう根本的な理念や方向性として、少なくとも、上のように考えていることを示してきた。僕としては、本音を言えば、上にある社会の全体像、地域ビジョンに向けて、各自が何かしらのことを専門的に勉強しておいてほしい、そうして、その先で、各自が「できること」=「仕事」をすることを目指してほしい、と願っているのである。
 僕は、専門性として、地域自治と地域経営に関してジェネラルに学びながら、各種の現場への取材と協力を始めている。ジェネラルに、色々なことに関心を持てることが、自分の強みである、とも思っているからだ。そして、もう少し専門的には、関係人口的な事象に注目したい、ということはすでに書いたが、これに加えて、上までの関心に基づいて、特に観光という現象に注目し、それに関する政策や計画や経営組織やデジタル化の研究にも、幅広く取り組み始めている。
 ところで、上では、自治と地産地消システムと、地域とその外部を巡っての「観光」的な関係性や共同性の共存について書いたが、そもそも、これらは一見、相反する要素を抱えているということが、極めて重要であろう。しかしながら、上までにおいても見てきたように、現状の現実の世界から考えた時、それらを両立させるマネジメントが模索されているということなのでもあって、ここでの緊張関係が、地域では日々、問われている。大きなテーマとしては、この「自治と観光(移動)」こそが、自分にとってのそれであるとも思っているのだが、これは、今後、一生をかけて追究していきたいものであり、今回は、書き切れない。ここでは、この現実の問いが興味深いものであるということが、少しでも伝われば、幸いである。

 いずれにしても、冒頭の話に戻れば、僕は、今回の文章では、以上のように、私とは何者か、ということと向き合いながら、何が幸せなのかという「価値観」と、それに基づいた、社会に対してやりたいことを持つことの、例を示したいのであった。それについて、僕個人は、以上のように、多くの人に伝わるように、ひと繋がりの文章を書けるが、あなたはどうなのか?と、問いたいのであった。さて、以上の文章を読み、あなたは、どう思ったであろうか。僕は、この文章から、そこのあなたに、考えてほしいのである。


*以下は、補足、強調です。まず、近年、観光立国論やオーバーツーリズムなど、観光に関して、社会的に議論が俎上に載ることもあるわけですが、以上の文章では、今後、日本がどのような指針で観光振興、地方創生をすればよいのかという本質の部分を、示しているつもりです。それとして、観光を「移動(による資本の移動=観光産業)」だけでなく、「まちづくり」との関係で捉えましょう、ということです。資本主義を民主主義によって制御する(資本主義と民主主義の共存を模索する)営みの雛形が、地域観光にあるために、僕は地域観光に注目しています。

*僕個人は、例えば、地方に「本質的には都会で売れている」アーティストを集める音楽フェスを誘致するかたちで、ある意味での観光振興をするというやり方にも、上までに書いた意味においては、基本的に感心していません。例えば、都市地域では長崎さるく博、農業地域ではアルベルゴ・ディフーゾなど、その土地の代替できない地域資源を活かした事例は、一般に知られていないだけで、数多くあります。なぜ、本当はその土地ではなくてもそれをできるレクリエーションではなく、観光を大切にしたいのか。それは、まず、観光は、地域資源を保全することで地域の地域性が継承される、という点に利点があるからです。十年後に人々が「別のものに乗り換えている」カルチャーではなく、その土地に代々残されてきた資源を残すことに価値がある。そして、観光は、「先人の文化、自然で食う」「誰でもできる仕事」であり続けて欲しいのです。一部の人がお金を稼ぐのではなく、その恩恵を地域全体で享受し、生活改善に使う(=「自治」)ことが大切である、ということでもあります。

*また、上の文章では、難しい話をすることは避けましたが、上のそれをもう少し高次元に言い換えると、以下のようにもなります。今日の観光は、社会の近代化を前提とした現象であり、産業です。その中で、地域の固有性や「祭り」と、それを均質化する近代化の波との間に挟まれているのが、各地の地域観光の現場である、とも言えます。ここで、21世紀に、近代と前近代をミックスするようにして、「善い」「幸福」な生活空間を次世代に伝えることができるか、チャレンジをすることが面白いのではないか、と。僕個人として、そのように考えるようになった背景には、ヴェーバー、ハイデガーなどの近代に対する思想や、ポランニーなどの政治・経済・社会思想の影響が、色濃くあります。上での「快楽」と「幸福」という話も、アリストテレス、テイラーなどの影響が強いわけです。

*それから、上では日本の地方を例に挙げましたが、僕が関心を持っているのは、日本を含む、世界の地域です。各国の近代文明との格闘と、それが観光に現れる局面を見てみたい。海外の観光学の議論を参照し、世界のローカリズム運動の取材もしたいのです。

*この文章を読んでいらっしゃる方は、都心部に居住しながら、世の中に違和感を抱えた方が多いのではないか、という気もしています。そうであれば、これまで自分が生きてきた環境が狭かっただけなのではないか、と考えてみてほしいのです。(15000字)

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